EAST END

簡介: 1MCと2DJからなるヒップホップグループ。FUNKY GRAMMAR UNITの一員。1994年から1996年にかけては、「EAST END×YURI」名義で活動していた。
成員:
GAKU-MC - MC擔當。、東京都保谷市(現(xiàn)西東京市) O型。 更多>

1MCと2DJからなるヒップホップグループ。FUNKY GRAMMAR UNITの一員。1994年から1996年にかけては、「EAST END×YURI」名義で活動していた。
成員:
GAKU-MC - MC擔當。1970年10月6日、東京都保谷市(現(xiàn)西東京市) O型。
ROCK-Tee - DJ擔當。1970年12月8日、東京都新宿區(qū) O型。
YOGGY - DJ擔當。1970年5月5日、東京都渋谷區(qū)原宿 A型。
高校入學時、同じクラスで出席番號も1つ違いであったGAKU-MCとYOGGYが出會う。ブレイクダンスから始まりヒップホップに傾倒し、「ファンキー?ニュー?スタイル」というユニットに參加していた。ちなみに、當時はYOGGYもMCだった。
その後、GAKU-MCはラップのコンテストなどに出場するようになり、そこでROCK-Teeと出會う。GAKU-MCとROCK-Teeが大學の入學式で偶然再會する。當時GAKU-MCはMC GAKUとしてソロ活動、YOGGYはPuzzle Jam Rockers、ROCK-TeeはDEF BEAT CREWでそれぞれ活動していた。
1990年、3人で「EAST END」を結成。浜松町ワルシャワで開催されたイベント「第1回 PEACE BALL」で初ライブ決行。當時は日本のヒップホップ史における黎明期であり、現(xiàn)在のシーンにおいては大御所的な存在となったRHYMESTER、ZINGI、MUROらとしのぎを削っていた。また、YOGGYはBOY-KENのバックDJとして、スチャダラパー等と共にMAJOR FORCEのツアーに同行していた時期がある。
1991年、ZINGIが中心になったイベント「YOUNG MC'S IN TOWN」(場所は、2nd Albumにも名前がある代々木チョコレートシティにて月1開催。)に參加。後にここからRIP SLYMEを輩出した。バブルガム?ブラザーズの中野サンプラザ公演にてフロントアクトとして出演し、彼らの秋から行われた學園祭を含めた全國ツアーに同行する。
1992年、ファイルレコードからデビュー?アルバム『Beginning of The END』をリリース。この頃、SUやTAKE(DJ FUMIYAの兄)のダンスグループ"MELLOW DOWN"をバックダンサーに迎えている。
1993年、RHYMESTERのアルバム『俺に言わせりゃ』に収録された「FUNKY GRAMMAR」にMELLOW YELLOWとともに客演したことがきっかけで、ヒップホップ?コミュニティ「FUNKY GRAMMAR UNIT」を結成。その後、レギュラー?イベント「FG NIGHT」を開始。
1994年2月、友人だった東京パフォーマンスドールの市井由理の新宿シアターアプルで行われたライブにゲスト出演。観ていたファイルレコード佐藤社長の一聲でユニット「EASTEND×YURI」を結成。
1994年6月、EASTEND×YURI名義で「denim-ed soul」をリリース。
1994年8月、EASTEND×YURI名義で『DA.YO.NE』をリリース。
1995年2月、方向性の違いによりROCK-Teeが脫退。
その後、地方のパワープレイにて『DA.YO.NE』がブレイクし、日本のヒップホップにおいて初のミリオンセラーを記録する等、かつてない成功を収めている。その為、超多忙スケジュールとなった1995年夏頃には、記憶が徐々に薄れ始めたらしい。
1995年秋、ROCK-Teeが原宿にショップ「CRIB」をオープン。
1995年12月、NHK紅白歌合戦に出場し、日本のメジャーシーンにおいてラップやヒップホップを広く認知させた。なお、「家から普段著を著て行って出演、そのカッコのまま家に帰るって決めてた(GAKU)」らしい。
1996年、EASTEND×YURIとしての活動を終える。
1998年、EASTENDの活動も休止。
1999年、GAKU-MCがソロ活動開始。
2000年、YOGGYがミクスチャーバンド「Food」のメンバーとして活動。ROCK-Teeはプロデュース活動を始める。
2002年10月、メローイエローのライブ終了後オリジナルメンバー3人が再會。再始動を決意する。
2003年、活動再開。CRAZY-A、童子-T、そしてFUNKY GRAMMAR UNIT全員が參加というマスターピース『Beginning of the Endless』を発売。
「Beginning of the Endless Tour」として、全國クラブツアー。
11月23日、「イイニーサン(EE兄さん)の日」にツアーファイナルをラフォーレミュージアム六本木にて行う。
2005年、『Three』を発売。前作から一転、一切客演を迎えず3人のみで完成させた。
2011年3月20日、東日本震災のチャリティー活動のため、震災から約1週間後に「ヤル気持參!今要らないモノは『不謹慎』、必要なのはビートに乗って『Swingin'』と音で感じる『スキンシップ』」と銘打ち、被災地への支援だけでなく、震災で営業(yè)を自粛していたクラブ業(yè)界や気落ちしていた人々への激勵を込めてダサパを緊急敢行。ゲストに椎名純平らを迎え、多くの集客を果たす。
2012年、隔月で開催していたオーガナイズイベント『DA THIRSTY PARTY』 - ダ?サースティ?パーティが、FGクルーや親交の厚いミュージシャンなど數(shù)多くのゲストを一同に集めた最終回を3月に行い終了。
ダサパ終了に際して、KIN(MELLOW YELLOW)がブログにて自身の思い出とともにコメントを寄せている。
現(xiàn)在は、製作&ライブ活動を再び休止。各自ソロ活動中。
2014年12月19日に行われたRHYMESTERの結成25周年イベント『R 25』で久々に再結集し、パフォーマンスを行った。

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