人間椅子

簡(jiǎn)介: 小檔案
和嶋慎治(わじま しんじ)(ギター)
生まれ、青森県弘前市出身。
鈴木研一(すずき けんいち)(ベース)
生まれ、青森県弘前市出身。
ナカジマノブ (なかじま のぶ)(ドラムス)
生、東京都杉並區(qū)出身。 本 更多>

小檔案
和嶋慎治(わじま しんじ)(ギター)
1965年12月25日生まれ、青森県弘前市出身。
鈴木研一(すずき けんいち)(ベース)
1966年3月11日生まれ、青森県弘前市出身。
ナカジマノブ (なかじま のぶ)(ドラムス)
1966年9月20日生、東京都杉並區(qū)出身。 本名中島慶信(なかじま よしのぶ)、2代目イカ天キングGENの元メンバー。
小簡(jiǎn)介
是以吉他和嶋慎治,貝斯鈴木研一為主結(jié)成的樂(lè)隊(duì)。成立于1987年,是時(shí)兩人都還是高中生。音樂(lè)風(fēng)格模仿70年代的不列顛HardRock,多用江戸川亂歩、泉鏡花、太宰治的小說(shuō)的題材做歌詞。人間椅子所有的歌曲都是原創(chuàng)的,而大部分的歌曲是出自和嶋慎治、鈴木研一兩人之手。就作曲風(fēng)格而言,和嶋慎治與鈴木研一的走向明顯不同,因此通常在曲調(diào)與用詞上便可以清楚分辨出哪首歌是由何人創(chuàng)作。和嶋慎治的用字較為文雅華麗,可以窺見(jiàn)其日本文學(xué)造詣之深,他大學(xué)時(shí)主修佛學(xué),因此也常可見(jiàn)到佛教用語(yǔ)出現(xiàn)。
中學(xué)生の頃から交流があり、同じ高校(青森県立弘前高等學(xué)校)の同級(jí)生になったことで、より親交を強(qiáng)めた和嶋慎治と鈴木研一が1987年に結(jié)成したバンド「死ね死ね団」がそもそもの始まり。
高校卒業(yè)後二人は別々の大學(xué)へと進(jìn)學(xué)したが(和嶋慎治は駒澤大學(xué)仏教學(xué)部、鈴木研一は上智大學(xué)外國(guó)語(yǔ)學(xué)部ロシア語(yǔ)學(xué)科に進(jìn)學(xué))親交が途絶えることはなかった。
大學(xué)卒業(yè)が間近となっても就職先が見(jiàn)つかっていなかった和嶋がレコード店でブルースのレコードを物色していると、就職活動(dòng)帰りの鈴木と偶然出くわし、彼から「和嶋ァ、わ、やっぱり就職やめで、バンドやるごとにしたじゃあ」と言われ、本格的な音楽活動(dòng)に誘われたという。ちなみにこのとき鈴木は日立建機(jī)に就職が內(nèi)定していた[2]にもかかわらず、それを蹴った。
彼らが世間で認(rèn)知されるようになったのは1989年、TBS系列で放送されていた深夜番組「三宅裕司のいかすバンド天國(guó)」へに出演である。鈴木がねずみ男風(fēng)の奇抜な衣裝で出場(chǎng)、印象的な格好であったため色物バンドと思われたが、それとは裏腹に非常に卓越した演奏技術(shù)を見(jiàn)せつけ、審査員たちから“青ランプ連発”で絶賛された(この番組では、審査員たちは出場(chǎng)したバンドに対し、手元にある赤ランプを點(diǎn)燈することで演奏を中斷させることができ、また逆に青ランプを點(diǎn)燈して演奏を続行させることもできた。青ランプ點(diǎn)燈という評(píng)価を受けたバンドは數(shù)少ない)。
なおこのとき審査員たちが彼らの音楽に対して「文蕓ロック」という呼び名をつけたため、以後高評(píng)価を受けたバンドに審査員から「○○ロック」と肩書(shū)きを與えることが慣例となってしまった。これは審査員側(cè)、バンド側(cè)の雙方にとって大変迷惑なことであったという。
概して人間椅子の音楽は、ハードロック?ヘヴィメタルを基調(diào)としながらも津軽三味線由來(lái)の旋律を絡(luò)めたドゥーミーなサウンド、それにのせた津軽弁の歌詞や歌い方といった獨(dú)特の特徴があり、郷土の影響が色濃いものである。
サウンド面では、和嶋?鈴木両人が熱心なファンだというブラック?サバスを髣髴とさせるハードロックが基調(diào)である。技術(shù)的には一音半下げのチューニングを多用したヘヴィでドゥーミーかつ緻密なリフ、70年代のハードロックバンドを想起させる起伏に富んだ楽曲展開(kāi)などが特徴として挙げられる。 その他にもハードロックでは、楽曲「Breadfan」を「針の山」としてカバーした(歌詞は和嶋が新たに作成)バッジーや、ライブで度々演奏されているレッド?ツェッペリンやレインボーなどがある。 プログレッシブロックでは、重鎮(zhèn)キング?クリムゾンのような楽曲構(gòu)成、そのリーダーであるロバート?フリップ獨(dú)特のスケール(和嶋自身、影響を受けたと公言)が直接的な影響といえる。 以上のように人間椅子のサウンドは様々な要素を獨(dú)特の解釈でミックスしたものとなっており、いくつものアプローチを使い分けての音楽性は規(guī)範(fàn)的でありながら個(gè)性豊かである。近年では和嶋のソングライティングやナカジマの歌唱によって、ストレートかつポップなロックンロールの要素も取り込み始めている。
詞に関して言えば、大別して和嶋作か鈴木作かによるが、共通するのは津軽弁などによって醸しだされる土著性、グロテスクな表現(xiàn)、とぼけたユーモアが挙げられる。
和嶋の詞はほとんどが文學(xué)、特に明治から大正期の日本文學(xué)に傾倒したもので、私小説や無(wú)頼派、探偵小説などに造詣が深い。その趣味の主な対象、しかもタイトル?歌詞に取り上げられたことのある作家は、谷崎潤(rùn)一郎や芥川龍之介、太宰治、坂口安吾、稲垣足穂、橫溝正史、小栗蟲(chóng)太郎、果ては國(guó)外のフリードリヒ?ニーチェやフリードリヒ?ヘルダーリン、ハワード?フィリップス?ラヴクラフトなど多岐に渡る。わけても江戸川亂歩に対する敬意には並々ならぬものがあり、人間椅子の多くの作品は亂歩作品を題材としている。さらにこの文學(xué)の素地に宗教、主に彼が大學(xué)で學(xué)んだ仏教の概念や用語(yǔ)が加わる。その表現(xiàn)は概して古色蒼然な文語(yǔ)調(diào)で、堅(jiān)い言い回しの漢語(yǔ)や難解な言葉も交えて文學(xué)性の一翼を擔(dān)っている。歌詞の傾向としては敘事詩(shī)的なもの、変態(tài)性欲的な頽廃美、自虐的な観念世界、土俗的でナンセンスなユーモアなど幅広い。
一方、鈴木の詞は和嶋とは対照的に軽妙でストレートなものが多いが、妖怪や霊威などの超常的恐怖、蟲(chóng)といった不気味なモチーフ、さらに淫靡な言葉などが加わって、柔らかくユーモラスなだけにとどまらない獨(dú)特な言い回しとなっている。 特筆すべきは彼の趣味であるギャンブル(特に「一日一度は臺(tái)に座らないと気がすまない」と公言するパチンコ)、ナンセンスなブラックジョーク(和嶋いわく「プラクティカル?ジョーク」)である。近年では『膿物語(yǔ)』や『冥土喫茶』など茶目っ気のあるタイトルも多い。
作詞?作曲は主に和嶋と鈴木の二人が中心で、ヴォーカルは基本的に作曲者が取っている。よく和嶋と鈴木の合作も行なわれ、その場(chǎng)合には鈴木が歌うことが多かったが、最近のインタビューによると、そのようなこだわりは特になくなって來(lái)たと言い、和嶋が作詞?作曲した楽曲「孤立無(wú)援の思想」や「赤と黒」を和嶋ではなくドラムスのナカジマノブが歌っている。ちなみにドラムスがヴォーカルを取るスタイルは土屋の時(shí)代に端を発しているが(三十歳は作詞こそバンド全員だが作曲は鈴木と若干変則的である)、後藤の時(shí)代にも自身の作曲によるナンバーを後藤自らが歌っている。
ドラムスについては、土屋巌はアルバム「踴る一寸法師」収録の「三十歳」で歌詞の一部を、後藤マスヒロはアルバム「二十世紀(jì)葬送曲」収録の「不眠癥ブルース」の歌詞を書(shū)いている。第一期ドラムの上館徳芳が作詞した曲はなく、今のところナカジマノブ(2010年現(xiàn)在)が作詞した曲もない。

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