簡(jiǎn)介:
小檔案
Ryuji (Lead Guitar), Shuntaro (Synthesizers), Emi (Vocals),
Takumi (Bass), Shohei (Drums), Freddy (Lead Guitar)
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小檔案
Ryuji (Lead Guitar), Shuntaro (Synthesizers), Emi (Vocals),
Takumi (Bass), Shohei (Drums), Freddy (Lead Guitar)
小簡(jiǎn)介
~誕生~
平均年齢21歳という若さを誇る本格派シンフォニック?デス?メタル?バンド、SERENITY IN MURDERが結(jié)成されたのは、2008年のことだ。EQUILIBRIUMやCRADLE OF FILTH、CHIMAIRAといったヘヴィ?メタル?バンドから、中島みゆきや岡村孝子などを好み、それまで作曲しては自分の周りの知人や友人に聴かせ満足していたFreddyが、バンドという形でその自身が作曲した音楽を體現(xiàn)していきたいと思ったのがきっかけだ。當(dāng)時(shí)Freddyが通っていた大學(xué)で彼とは別のサークルに所屬し、女性デス?ヴォイス?シンガーとして知られていたEmiに聲を掛け、デモを聴かせたところ、參加が決まったことでSERENITY IN MURDERは始まった。バンド名は、SLAYERのミニ?アルバムのタイトルに由來(lái)しているが、Freddy自身、この曲が好きだというだけでなく、『SERENITY IN MURDER』という言葉のインパクトや響き、なおかつ『靜寂に潛む狂気』というこの言葉の持つ冷たいニュアンスが自分の目指す世界観とマッチしていたことが、バンド名を決める際の決め手となった。
こうしてバンドとして活動(dòng)を始めたSERENITY IN MURDERであったが、結(jié)成當(dāng)初からEmi以外のメンバーは全く固定されず常に流動(dòng)的で、結(jié)成後約1年は表立ったバンド活動(dòng)ができず、曲作りをして過(guò)ぎていった。そんな中、Freddyの幼馴染みであり、ベーシストでもあったShuntaroと話をしている時(shí)、Shuntaroの通う大學(xué)に凄腕のギタリストがいると教えてもらい、紹介されたRyujiと會(huì)った時(shí)、Freddyは驚くこととなる。なぜなら、Freddyは以前よりネット上で自身のギター動(dòng)畫(huà)を公開(kāi)していたのだが、同じく動(dòng)畫(huà)を公開(kāi)していた人の中で際立って上手いギタリストがおり、気になっていたのがまさにこのRyujiだったからである。作曲したデモを聴かせ、曲を気に入ったRyujiとShuntaroの正式加入が決まり、結(jié)成から1年後の2009年になりようやくバンド活動(dòng)ができるようになった。しかしながら、吉祥寺Crescendoや大久保Hotshotなどでライヴを行ってはいたものの、やはりメンバーの入れ替わりが激しく、年間10本程度のライヴ本數(shù)に止まり、まだまだ本格的な活動(dòng)はできない日々が続いていた。
~進(jìn)展~
なかなか思うようなメンバーに出會(huì)えず、難航していたバンドであったが、ベースのShuntaroが獨(dú)學(xué)でピアノをやっていたこともあり、キーボーディストへコンバートした頃から狀況は好転する。程なくFreddy、Emiと同じ大學(xué)でドラムをやっていたKazukiが加入、そしてRyuji、Shuntaroと同じ大學(xué)の後輩がベーシストとしてサポート參加が決まり、ようやく固定されたラインナップで本格的な活動(dòng)が可能となった。2010年1月、早速この6人で、LIGHT BRINGER、EDGE OF SPIRIT、EACH OF THE DAYS、SURVIVE、JURASSIC JADE、DIABLOといった國(guó)內(nèi)外の新舊強(qiáng)豪アーティストらが出演し、川崎Club Citta’で2日間に亙って開(kāi)催されたメタル?フェス『FAR EAST RAMPAGE』に出演、SERENITY IN MURDERの存在をアピールすることに成功した。
~レコーディング開(kāi)始~
フェス出演後、単発でいくつかライヴをこなしながら、度重なるリハーサルを重ねたバンドは、次なる段階である音源の発表に向け、レコーディングに入ることとなる。以前よりFreddyがファンであった國(guó)産エクストリーム?メタルのパイオニア、METAL SAFARIのギタリストで、これまでそのMETAL SAFARIだけでなく、DEATH I AM、INFECTION、NOCTURNAL BLOODLUSTなどのバンドを手掛けてきたHiroが経営する『Studio Prisoner』で、彼のプロデュースのもとレコーディングに入った。Hiroの人柄もあり、『Studio Prisoner』でのレコーディングを選択した彼らであったが、ここでのレコーディングがSERENITY IN MURDERというバンドにとっての大きな転機(jī)になった。途中Freddyの入院があり期間が空いたものの、無(wú)事”RequieM” ”Defenders Of The Faith” ”Defamiliarization” ”Infact Bellum”という計(jì)4曲のレコーディングを終えたバンドは、その中の1曲、”Infact Bellum”をコンピレーション?アルバム「Hell Gate」(2010年6月25日発売)に提供、Burrn!誌2010年9月號(hào)のレビューにおいて、「SERENITY IN MURDERの単獨(dú)音源が聴きたい」との評(píng)価を得た。また、この間サポートのベーシストが脫退してしまった為、知人の紹介で正式なベーシストとして、Takumiが加入する。
~ラインナップ完成~
このときレコーディングした4曲にて、當(dāng)初はEPを制作する予定であったが、初の単獨(dú)音源をより強(qiáng)力なものにする為、2010年10月、再び『Studio Prisoner』に入り、”Horn Of Ending” ”The Tragedy” ”The Holocaust To Dead Line” ”RequieM(再録)”をレコーディング、計(jì)7曲を用意するが、ここでKazukiが個(gè)人的事情で脫退してしまう。後任のドラマーには、YouTube上でドラム動(dòng)畫(huà)を公開(kāi)しており、その力量の高さに注目したFreddyがコンタクトを取ったShoheiがオーディションの末に正式加入となり、こうして現(xiàn)在のラインナップが揃った。
~衝撃のデビュー~
新たなラインナップとなり、6人の間にこれまでにないケミストリーを感じたバンドは、更に曲を増やし、初単獨(dú)音源をフル?アルバムにすることを決定。2011年5月、『Studio Prisoner』に3度目のレコーディングを行う為に入り、”The First Frisson Of The World”と”In Hell Of Heaven”の2曲を完成させた。こうして3度にわたりレコーディングした珠玉の9曲は、Hiroの手によってミックス?マスタリングが施され、SERENITY IN MURDER初の単獨(dú)音源として、フル?アルバムの形態(tài)で発表されることとなる。
激烈さと敘情性、悲壯感を高い次元で融合させ、哀愁のメロディを撒きながらドラマティックに疾走するシンフォニック?デス?メタル?バンド、SERENITY IN MURDER。世界照準(zhǔn)の完成度を誇り、ヘヴィ?メタル?シーンの新たな幕開(kāi)けを感じさせるファースト?フル?アルバム「The First Frisson Of The World」で、SPIRITUAL BEASTから待望のデビューを果たす。