BLUE TRAIN

簡(jiǎn)介: 日本同人樂(lè)團(tuán)。
Ruin:Vocal/Guitar
Satofuku:Guitar
Hideaki:Drums
大事件
2008年春、関東のとある高校生は學(xué)校等での不快感を溜めに溜め込んで(入學(xué)1か月だってのに)居た????? 數(shù) 更多>

日本同人樂(lè)團(tuán)。
Ruin:Vocal/Guitar
Satofuku:Guitar
Hideaki:Drums
大事件
2008年春、関東のとある高校生は學(xué)校等での不快感を溜めに溜め込んで(入學(xué)1か月だってのに)居た????? 數(shù)日後、この溜まりに溜まった鬱憤、憎悪、憎しみ、本音を音楽にぶつける事にする。 これが、このサークルの誕生の瞬間である。 但し、この時(shí)點(diǎn)ではまだ同人活動(dòng)してるというよりは、自作曲を作り始めたのがここら辺からという感じです。 11月、名前を「BLUE TRAIN」に決める(というか変更する)。サークル名を考えるのに掛かった時(shí)間はわずか15秒 ちなみにこの頃はまだバンド表記は2語(yǔ)であった。 そしてその勢(shì)いで前身のサイトも作る。ブログを仮説のサイトとして使っただけの物で、制作に掛かった時(shí)間は30分弱 11月末、BLUE TRAINとして始めて完成させた1曲(All for right bloodって名前の曲です)を友人に聞かせたら、「鉄道とメタルを混ぜたような音楽だね」と言われる。 この辺から「鉄道メタル」が確立 12月、M3に申し込む事にしたので、M3-09春で初參加の予定。受かると良いなぁ???
[2009年] 1月、M3に申し込み完了。あとは當(dāng)選するだけだ! 2月、M3當(dāng)選!俺の同人デビュー(笑)は5/5に決まる 5月、M3-2009春にて、1st demo「Train Of Haven」をリリース。 一部で話(huà)題になったりと、思ったより高評(píng)価で純粋に嬉しいです。(ruin談) 6月、新作を持って行く予定だったC76(2009年の夏コミ)に落選、本當(dāng)にありがとうございました。 6月中旬、次の新作をフルアルバムの體験版とする事にし、既に制作していた6曲(1st demoの奴では無(wú)い)を元手に12曲入りフルアルバム(青列車(chē)の1stアルバムって事ですかね) の制作に取り掛かる。 8月、M3當(dāng)選。劣悪なスペース配置の中フルアルバムのデモ的なのを持って行く事が決定する。 9月、フルアルバムの延期に伴い、フルアルバムのデモ的な物から普通の2ndデモに進(jìn)路変更。 ちなみに2ndデモは爆走スラッシュっていう感じになる予定だった。 10月、M3-2009秋にて2nd demo「Heavy Metal Train」をリリース。 この作品はコアなメタルファンやサークル側(cè)の人間を中心に、なかなかの評(píng)価を得た。 その中身はみんなの感想によると、 「スラッシュだけどかなりブルータル!」 「発想がやばい!」 「新しい!」 「デス寄りのスラッシュで良い感じ!」 「プリミティブな音質(zhì)も相まってやばい雰囲気!」 「デスラッシュの新しい方向性!」 だそうです。ちなみちBLUE TRAINはスラッシュメタルのつもりでこれを作ってました。 そしてM3終了後にしばしの倦怠とインフルエンザ感染を経て、後にBluetrainが「デス系で3ケタ」と言うささやかな飛躍をする事になる「Fear Longseat」の制作を始める。
[2010年] C77(正確には2009年の12月30日だが)でFear Longseatをリリース。 このデモテープで興味深い事が2つ、まずはこのデモのタイトルトラックのギターソロをサークルCarbonic Acidの炭酸が弾いていると言う事だ。 彼の同人初參加と言うわけでは無(wú)いが(このデモのリリースより1ヶ月ほど前に実はCarbonic Acidの最初のデモがリリースされている)、インスト今となってはもうアレだが興味深いと十分言えよう。 次に、実現(xiàn)はしなかったもののサークル5150の龍5150がこれもギターソロで參加する計(jì)畫(huà)があった。 結(jié)局、時(shí)期が遅すぎて計(jì)畫(huà)段階で立ち消えになってしまったがこれも興味深い出來(lái)事である。

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